おおきなみなとの日々帖

食、本、冷えとり、味のあるカッコイイ役者さん、嵐さんに甘いけれど、日常がいちばん好き。

まるこさんのかわいいおじいちゃん、ゴールしました。

まるこさんの弔辞がおもろいのに泣けます。


孫夫婦とマルチーズとじいちゃんの日常

 

愉しいのにホロッともしてホントがたくさん。 - 大きなみなとの太陽の下で。

 

たくさんの時間を共有した人でないと出てこない言葉だらけで、ちょっとの背伸び部分はあるかもしれないけれど、堅苦しくもなく、あくまで自分目線で、愛情たっぷりの弔辞です。
ご会葬お礼のハガキの文章もぜひ読ませてもらいたいです。

 

今までたくさんの葬儀に参列してきました。
身内の葬儀も経験しています。
その中でこんなに温かくて正直な挨拶に出合ったことは稀です。
こんな言い方もどうかとも思うのですが、葬儀屋さんの用意したひな形をそのまま使われていらっしゃるのが見え見えのような、

「え?紙を読んでいらっしゃるのにそれでおしまい??」

と仰天してしまうほど簡素過ぎることがほとんどです。

あまりにも突然のお別れでショックと悲しみが深すぎて何の準備もできなかったのは別にして(そういう場合はご家族の様子だけで十分挨拶になり得るから)、人前で話すのが苦手とか慣れていないなどございましょうが、それでも袖振りあった以上のご指導ご鞭撻を賜った縁ある方々に、自分の率直な言葉で故人への思いを話すというのは至極自然なことなのではないかしら、と思うわけです。

 

先日読んだ酒井順子さんのコラムも秀逸でした。


酒井順子 話す<清水ミチコ×酒井順子 リレーエッセイ「芸」と「能」> - 幻冬舎plus

 

    とある映画を見た後に、その映画の監督さんによるトークショーが開催されました。監督さんは、私より少し上の年代の女性。映画の趣旨や苦労話などが語られたのですが、おそらく人前で話すことに慣れておられないのでしょう、とても緊張して、おどおどして見えた。話し方だけでなく、登場の仕方、お辞儀のし方など一挙手一投足に、緊張感がにじみ出ていたのです。
 その姿を見ていて、私には一つの天啓のようなものが下りてきました。すなわち、
「中年がおどおどしていても、良い事って一つもないんだな」
 と。
 若者が人前に立った時、緊張感いっぱいでおどおどしていても、「初々しい」「可愛い」と、周囲は見てくれます。まだ世慣れていないのだから仕方ないよね、と。
 対して中年にもなって同じような態度だと、初々しくもないし、可愛くもありません。同情の余地が無い、と言いましょうか。相手が同情してくれるならまだ緊張のし甲斐もありましょうが、
「なんでこの人、大人なのにこんなに緊張してるわけ?」
 と思われるだけだとしたら、緊張のし損ではありませんか。
 そのことがあってから私は、「中年になったなら、どんな場でも堂々としていなくてはならないのだなぁ」と、理解したのです。「緊張」は、若者の特権。

 

酒井さんご自身も話すのが苦手だからこその説得力ある言葉です。
中年になるってこういうことを克服することでもあるわけです。
学び甲斐があるってものじゃないですか。

そう遠くないだろう将来、家族とお別れするとき、緊張することなく、お世話になった方々にどんなエピソードを披露しながら感謝の言葉を伝えようかな。
日々をおろそかにしないで、どんなネタもさらう心持ちでいようと思います。

 

まるこさん、まる夫さん、おじいちゃん、お疲れ様でした。
暮らしの大事なことをシェアしてくれてありがとうございました。

 

いつも一緒! 100歳じいちゃんとハナ 孫娘の泣き笑い介護日記

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