おおきなみなとの日々帖

食、本、冷えとり、味のあるカッコイイ役者さん、嵐さんに甘いけれど、日常がいちばん好き。

情けないことにややいじけてるんですね、これは。

海外在住の友人が相次いで一時帰国していたり、する予定だったり。

ある友は名古屋グルメを満喫したり、桜を愛でたり、懐かしい友と再会したり。
またある友は東京はもちろん、温泉旅したり、神戸や姫路城に行ったり、京都で数日楽しんだり、ディズニーランドに行ったり。
それはそれは盛りだくさんの、素晴らしき日本の春をめいっぱい楽しむスケジュールを組んでいてブラボーなのです。
 
それぞれの日本でのホームタウンがわたしの街とは遠いのが、限られた滞在期間中に容易に会えない大きな理由でもあるけれど、それでも訪問先にわたしの住む街が含まれることなどほぼない現実がちょっとだけ淋しくて。
ちっぽけで観光するところなど一切なくて、言ってみればお金と時間を費やすほどの魅力が皆無なのだから致し方のないことでございます。
それでも暮らすにはなかなかだぞ、と思いながらいるわけで。
日々の暮らしのささやかな楽しさやシアワセの切り取りならばいかようにもできるけれど、観光という切り口でプレゼンせよとなると、めっぽう弱くて苦手なのでさっぱりです。
なので住んでいること自体をまるごと愛せるような街へ引っ越すのもいいなぁとも実は思います。
 
生まれ落ちた頃には両親が切り盛りしていた家業は超多忙で、よそのお宅に預けられて大きくなりました。
そこのお宅には女の子がいなかったこともあってとても可愛がってもらい、おやつもご飯も親とは別味の愛情も何不自由なくいただいたと思っています。
ここのお宅がなかったらもっとひん曲がった性分になっていたはずです。
 
忙しい親を身近で感じていたので気兼ねが得意な子どもでした。
どんな状況でも自分のことを最優先に思ってくれる存在など期待しちゃいかんのである、みたいな。
サラリーマン家庭の友だちが休みになるとあっちこっちに出かける様を羨ましく思いながらも、うちはどう望んでも無理だから、と決してわがままは言わず、背丈に見合ったというか、日々の暮らしの中で穏やかにいられる術を自然と考えるようになりました。
 
成長するにつれて、あんまりにもどこにも連れて行ってもらえなかった、もらえないことに対して悲劇のヒロインを気取ったこともあるし、まぁ、とにかく出かけるということへのコンプレックスたるや尋常ではなかったのでしょう。
 
家業から離れることになって、オーストラリアへちょっと滞在できるタイミングを得て実践して、このコンプレックスはだいぶ静かになりました。
でも火種は決して消えることなくくすぶったままで、ひょんなことからいつでも発火するんだなぁと思うこの頃です。
 
自分はいつだって誰かの一番の存在にはなり得ないし、我慢して済むならそれでいいや。
 
あ〜、いかんいかん。
いい加減、こういう勝手なひとりよがりの呪縛とはきっぱり縁を切らなくては。
 いくらカラダをあっためても、心がヒンヤリじゃあ、冷えとりの意味もありません。

日本では会えない海外在住の友人たちは、わたしが行くとなると申し訳ないくらいに良くしてくれるのです。
たまには恩返しもしたいんだけれど、甘えてばかりでも許してくれるかな。
そう願いたいものです。
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